【芝居をやってました】~アロマケアリストの松永直子と申します~
アロマテラピーサロン “Soi-meme” のオーナーである
アロマケアリスト松永直子が、自分自身のことをお話しします。
お時間あるときに、ゆるゆると読んでいただけたら。
● 第1章:芝居をやってました
アロマを勉強する前
私は、ずっと演劇に関わっていました。
ずっと、っていうのは語弊があるな。
小中高と演劇部に所属して、大学は演劇学科でした。
卒業してからも
仲間と劇団を旗揚げしたり、自主制作映画に参加したりと
その頃は、それこそずっと演劇に関わっていることが生活の中心でした。
"演劇" って言い方、実際関わってる人たちは
どちらかというと "芝居" って言います。
そして、 "俳優・女優" という言い方より "役者" って言い方します。
同じことなんだけど、ニュアンスの違いかな。
言葉の肌触りの違いっていうか
毎日のように言葉を扱っているから、そこへのこだわりなのか
あとは、自分がやっていたことが
"芝居" とか "役者" っていう方がしっくりくる、そんな感じ。
芝居をやるために、就職したことはなくて
時間の融通がきくからとバイト生活。
生活費のためにバイトする、そういう生活でした。
その生活をちょっと捻じ曲げて、契約社員で働き芝居をやらなかった期間、
『鬱』になりました。
鬱の話はまた別に書きますが
芝居をやることがこんなにも自分の均衡を保っていたのかと
思い知りました。
そのあと(鬱を脱したあと)
1本芝居をやって、一度満足して、別のことに目を向け始めた頃
ご縁があり、結婚しました。で、妊娠・出産。
この時は、もう芝居はやらないな、と思いました。
出来ないと思ったし、主婦、子育てで考える余地もなかった。
2人の子供たちが幼稚園に入った頃かな
ふと見た新聞記事に急に心が揺さぶられ、自問自答。
『今、また芝居やりたい?』
『やりたい、かもしれないでも、今の生活が変わってまで望むことじゃない』
不器用なんでね
うまくスイッチングできないし
自分は、芝居が始まるとその役が私生活にも多分に影響が出てしまうので
できないできない。
何より、今の生活と天秤にかけた時
"今の生活" の方が重かったんだ。
ドラマみたいに
台所で洗い物しながら、自問自答して
答えを出しながらも、泣いた。
『なんだこれ。ドラマみたいじゃん』って思いながら
泣いて、笑った。
それからしばらくして、大学の同窓会があった。
『ぴい(私のニックネーム)が芝居やってないとは思わなかったな』
って言われたことは、かなり胸に響いた。
ああ、私ってずっと芝居やってるイメージだったんだなあって。
同期で何かやろうよーなんて話も出て
私の中の芝居やりたい欲は、また顔を出してきた。
もしそんなことあったら・・・
なんて話を家族にした。
その時はやればいいじゃない、と当時の夫は言ってくれた。
そんなことはなかなか実現しないよ、と思いながらも
また芝居をやれるかもしれない
と心は踊っていたし、そんな奇跡みたいなことが起こればいいなと願った。
2011年 東日本大震災
この出来事をきっかけに
家族は『自分のことは自分でやれるようになろう』と話し合った。
まだ小学2年生の長女と幼稚園年長の次女にも
自分で出来ることはなるべく自分でやってもらうようにした。
結果、これがのちに私自身の助けになるんだから
ホント無駄なことはひとつもない。
それからしばらくして、その機会は突然やってきた。
私が大学時代から大好きな劇団(先輩や同級生が劇団員)が
オーディションをやるという情報が舞い込んできた。
『やりたい』
もうそれしか考えてなかった。
家族の承諾を得て、2011年10月にオーディションを受け、合格。
2012年3月の公演で、役者復帰を果たした。
約11年ぶりのことです。
こんな奇跡ありますか?って感じでしょ。
稽古中は、自分だけの時間を過ごしているっていうことだけで嬉しかった。
稽古場に向かうだけの時間も、私だけの時間なんだってことが
本当に新鮮で、忘れていた感覚だった。
公演が終わって打ち上げからの帰り道
身体のすみずみまで『生きてる』って血液で満ち満ちていて
心の底から嬉しかった、その感覚は今思い出してもちょっと泣けてくる。
そんな感じで
そこから私の怒涛の芝居人生が約7年続きます。
途中、夫とはぶつかり(やはり)
離婚することになってしまったけど、後悔はちっともしてません。
子供たちには申し訳なかったし、当時は応援、協力してくれたけど
理解はできてなかったと思う。
今は、これで良かったって思ってくれてるみたいだけど・・・
では、そんな大好きな芝居をなぜ辞めたのか
それは、"子宮筋腫"の出現によります。
これはまた別に書きます。
で、今はそのきっかけになった"子宮筋腫"は
子宮とともに摘出されたわけですからね
ひょっとしたら
また芝居やりたいってことになるかもしれません。
それはそれで
アロマケアリストって武器を手に入れたってだけですから
やることになるかもしれません。
『空みたいな人になりたい』
役者の時に思っていたことだけど
今は、私の生きる指針です。
朝、夜、晴れ、雨
いろんな姿があるけど、空は空に変わりはない。
いろんな私がいるようにみえるけど
私は私、変わらない。
親にとっては娘であり、子供たちにとっては親
先輩、後輩、同級生
アロマケアリストで役者
それもいいかな。欲張りですね。
でも
いつ何が起こるかわからない。
こんな世の中ならなおさら
後悔しないように
昨年11月に亡くなった父のように
生きることに貪欲でありたい、そう強く思っています。
もちろんアロマケアリストとして
いろんな角度からケアできるように
これからも精進します。